『構造と力』が文庫本になった!など

 昨年12月にあの『構造と力』(浅田彰著)がついに文庫本(中公文庫)となったので、やっぱり買ってしまった。その昔、途方もない衝撃を与えたこの一冊。そして多くの人が彼の言動を追っかけたのであった。私もその一人。いつだったか、浅田彰氏、島田正彦氏の対談がどこかのホールであって、それは『天使が通る』というお二人の対談本の出版記念のイベントだったろうか。私は浅田彰氏のAquirax Asadaのサインの入った本を今でも持っている。もう赤茶けてしまった。他のイベントとごっちゃになっているかもしれないけれど、その時の司会は辻元清美氏(現立憲民主党議員)ではなかったろうか。ピースボート主催者であった辻元さんのものおじしない司会ぶりも何となく覚えていて、浅田氏にピアノ即興をお願いして、浅田氏も実に滑らかな演奏を披露してくれた貴重なイベントだったと思う。別々のイベントがごっちゃになってるかな。。。いや少なくともそのようなことがあったのは間違いない。また、他のイベントの記憶もあって、あれは紀伊國屋ホールだったろうか。柄谷行人氏と中上健治氏の対談、司会は浅田氏。いやこれも(登壇者については)勘違いかもしれない。それでも鮮烈に覚えているのは、浅田氏が随所で対談について解説されるのだが、その簡潔かつ切れ味が凄すぎて、浅田氏に対して歓声と拍手が起こったこと。聴衆は皆、鳥肌もんの感動を覚えたのであった・・・。

 さて『構造と力』を読み返してみて、これは今でも皆読むべき本だと改めて思った。当時もそうだったけど、私は主に資本主義ステムが、あらゆる差異を公理系に、つまり金の流れに変えてしまうというものだということをよーく理解させてくれる本と感じた。言うなれば儲かれば何でもあり、がこのシステムなんで、そうするとあらゆるものが消費対象としてしか考えられなくしてしまうので、当然世界は平板化してしまう。あの時代はまだ自分にも面白かったように思う。若いし、色々なものがどんどん出てきて、差異が金に換えられてもまだ新鮮なものがあった。しかし今ではもはや、ちょー無理々にひねり出された差異、もはや面白さも新鮮さもないものが溢れる時代となってしまった。と、私にはそのよな理解を促してくれる本なのでした。この本は自分のモラトリアム人生の推進力の一つだったもしれない、とも思う。

 ところで元日の地震災害に対する政府の対応は酷いものだ。初動の遅れといい現在の動きといい、なんじゃこれはとほとんどの人は思っている。志賀原発のダメージのヤバさが隠蔽され、実は大変な状況だったので、初動を遅らせたという話もある。キックバック問題も酷すぎて、日本終わってんなと思う。いや自民党と批判しないメディアは終わってるのだ。他、色々ありすぎて端折ってしまったけど、これらは、権力者がやるもんだから「今だけ、金だけ、自分だけ」の資本主義的な価値の極大化の最悪な状況なんだろうな。

 最近、twiiter界隈で、改めて注目されている『ガメ・オベールの日本語練習帳』(ジェームズ・フィッツロイ著/青土社)を手に入れて読み始めた。まだ読み始めなんだけど、「自分が何になりたいかを考えるのは、普通の人間には、まず無理で、自分の心の中にある磁針が自分のやりたいことのほうを向くように自分の心を開いてリラックスした状態にして、少しでも夢中になれることのほうに自分の足を向けていくのがよさそうです。」(p.39)とあった。“自分の心を開く”・・・、難しいことだけれど、素敵な文章なのでしみじみ。

 資本主義の磁気嵐は世界中で吹き荒れて、日本では権力者がそれに汚い息を吹きかけてさらに威力が増している。磁針は定まり難く、いや、日本では人の磁針がぶっ飛ばされてしまった状況になっているのかもしれない。